フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

イギリスでおいしい和食洋食を作ろう

帰りたい、もうやだ助けて、帰りたい。ちよわかまるで~す。

もはや語りつくされたと思われるテーマ、イギリスの食。言うほどまずくもないんですよ。たとえば、フィッシュ&チップス。カラッとあがっていておいしい。他にも、ショートブレッドとか、スコッチエッグ、パンケーキなどなど。まあ日本の寿司みたいに、これ!って決め手はあんまりないけど、ちゃんとおいしい。

ただ一点、飽きる。これは別にイギリスに限らず、日本を飛び出せばよく感じることなんですよねー。ルワンダ、イスラエル、スイス、ポーランド、どこに行っても思いました。決定的な差は、味付けの繊細さだとぼくは思っています。日本食には煮物や漬物など味の濃い物がある一方、冷奴・椎茸や松茸の丸焼き・ほうれんそうのおひたし・豚しゃぶ・オクラのおかか和え、などなど素材そのものに「いい塩梅」で味付けをして食べるっていうのがけっこうある。油も使わず、スープやだしも使わないシンプルな料理ってすごいよなあと思います。そう、今日は日本人の料理は素晴らしい!という愛国心にあふれたお話です。


ぼくにとって重要なのは、自炊でどうやって料理と食事を楽しむか。まず調味料の調達。醤油はこちらのスーパーでも時々見かける。みそ、酒、だし類(かつおやこんぶ)はあまり見かけない。日本人の主成分である米ですが、日本米(「錦」という種類が有名)は大きいスーパーだと売っているところもある。ロンドンの普通のスーパーでほぼ全滅なものとして、
大豆製品(豆腐、油揚げ、納豆)
海藻類(こんぶ、わかめ、ひじき)
粘りイモ類(里芋、とろろいも、こんにゃく)
根菜系(ごぼう、レンコン、大根)
薬味(しそ、みょうが、ごま、紅ショウガ)
豚肉の薄切り(現地スーパーではだいたいブロックかダイスか)
などなど。こういった食材が欲しければ、ピカデリーサーカスのライスワインやArigatoに直行しましょう。比較的手ごろな値段で入手可。根菜系やイモはジャパンセンターに行けば高いが入手可能。ごま油や赤唐辛子、豆板醤は中華街でも手に入る。残念ながら、しそは見つからなかった。
(ぼくは料理に砂糖とみりんはあまり使わないので不要でした。塩は日本産を買いました)

でまあ、最低調味料さえ集めておけばどうとでもなります。たとえば、鍋。
鶏肉・えのきだけ・キャベツ・ネギ・しょうがを現地スーパーで買って、ごま油で肉を炒めて野菜をぶっこんで、こんぶだし・みそ・醤油・酒で味を付ければみそ風味の鍋になる。豆腐もあるとおいしい。

親子丼はもっと簡単。卵・鶏肉・玉ねぎ・小ねぎを買って、しょうゆ・酒・だしで終了。

炊き込みご飯も簡単。ちなみに炊飯器がなくても計量カップ・大きめの鍋・IH的なものがあればご飯は簡単に炊けてしまう。一度に2合炊く場合。
①計量カップで300cc分の米をとる(米2合がだいたい300cc)
②軽く洗い(とぎたい人はとぐ)鍋に入れる
③計量カップで400ccよりちょい多い(420-425cc)くらいの水を測り鍋に
④吸水30分
⑤蓋はせず強火にかけ、ぶくぶく泡が立つまで沸騰させる(火にかけて約5分でなる)
⑥蓋をして弱火で15分
⑦蓋を開け鍋と蓋の間にふきんを張って再度蓋をして11~12分蒸らす
⑧出来上がり
炊き込みご飯の場合は吸水中に、スーパーで買った鶏肉・しいたけ・人参・しょうがを適当に切ってぶち込み、醤油・酒をだいたい1:1、こんぶだしを適量入れる。あとは白米を炊くのと同じ要領で炊けばOK。ちなみに、これと同じ要領でパエリアもできる。

日本食以外となると、やはりパスタが簡単で安全。麺はwaitroseのものがおいしいです。トマト缶・玉ねぎ・にんにく・オリーブオイルでトマトソースを作り置きして、ベーコン・なす・きのこなどとまぜればトマトパスタとなる。カルボナーラやアンチョビのペペロンチーノも簡単でお手頃。ちなみに、全粒粉(whole wheat)のパスタや5分で茹で上がるクイックパスタはまずいので気を付けてください。

マッシュルームは£1でたくさん買えるおトク食材。他のキノコも意外に安い。そこできのこリゾットなんて簡単にできる。バターを熱し、粗みじんにしたきのこを軽く炒める。だいたい火が通ったら牛乳を入れ、煮立たないよう気を付けつつ塩コショウで味付け。残りごはん投入。で、最後にチーズを好きなだけ入れる。こっちのスーパーの見どころはチーズの豊富さ。パルメザンチーズもおいしいものがあり、その他ゴーダやチェダーなども。

その他に現地スーパーで意外にお手頃な食材は、カラーピーマン、アボカド、ブロッコリーなど。どれも日本ではけっこう高いけど、こっちだとだいたい£1。
魚介類は高いのであまり挑戦したことない。スーパーでエビを買ったのと、市場で牡蠣を買ったくらい。でも、最近発見した、アヒージョなんてしゃれた食べ方はけっこうおいしい。

なんか「ちよわかまるのイギリスクッキング」みたいになってしまった。
手に入らないものはあまりないので、あとはどうやって飽きないように組み立てるかですね。主婦の味方、ちよわかまるがお届けしました。


人間のニーズを考える 1

大人ガーリー系ってなんぞや。大人なの?ガールなの?
がっつり悪魔系男子のちよわかまるです。

今回からだらだら何回かに分けて、Human Needsについて考えようと思います。Human NeedsはSocial Policyという学問の主要テーマの一つです。日本語ではニーズ
、 要は生きていく上で何が必要かという議論です。以前、貧困についてざっと書きました。貧困の議論はどっちかというと「何が欠けているか」「何が原因か or 誰のせいか」というネガティブなかんじでしたね。ニーズの議論は、「人間には何が必要か」「よりよい人生には何が必要か」という建設的なかんじなのが面白いところ。

ものすごいざっくり全体像を言いますと、
①Identification of needs:パンツが必要だ!というニーズの「発見」
②Commodification:パンツを自分で作る or 市場で買うというニーズの「商品化」
③Claim:パンツはみんな平等に最低限必要なものなんだ!というニーズの「主張」
④Social right:誰でもパンツゲットだぜ!のルールを作るというニーズの「権利化」

ニーズの議論の目指すところは、自分だけでなく社会のルールにして、誰でもそのニーズを満たせるようにするってことですね。


よし。小難しい話はこのへんにして、本日の本題。ぼくの好きな芸能人の一人、バナナマン。バナナ炎という番組で「一つだけ好きな法律を作れるならこんな法律」というテーマで話した回があります(見たい人はこちら)。もちろん日村さんだけでなく設楽さんも変態なので、金とエロにまみれたトークが展開されます。ものすんごいくだらないんだけど、法学部のつまらん授業よりよっぽど法律の本質が伝わる。


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設楽「自分だけ全てタダ。これはいいよね。みんなは普通で自分だけ全部タダ」

日村「それはすごいよ。何もかもでしょー。電車からバスからタクシー、飛行機、食事。・・・でも想像したら悲しい話だね」

設楽「なんで?」

日村「なんか、なんのためにおれって生きてるんだろうとかさ思うだろうね」

設楽「そうだねえ。ある程度最初は楽しいけどね、洋服屋さんとか行っても全部タダだし」

日村「なんか楽しくないでしょ?お金ためてやっと買ったとかいうものはもうないよね。仕事もしなくていいんだから、毎日ボサーっとしてさ、悲しくない?なんかそれって」

設楽「たしかに楽しい時期があって、そのうち何のためにって思うだろうね」

設楽「じゃあセックスだよセックス。誰とでもセックスできる券。国民全員には配らないの。国がいろいろ調べてあまりにこの人はできてないっていう人を7人だけ決めて配る。その7人が、その券を出したらもう誰も断れない

日村「泣かない?その渡された女の子?おれそういうとこ気にしちゃうのよ。グイグイ始まった時に、相手がガンガン泣いてるみたいなさ」

設楽「そりゃ泣くかもしれない。法律はできるっていうとこだけだから、感情は操作できないよ

日村「だったらその券を広末涼子さんにとはいかないね、たぶん。泣くもん広末さん。あのね、おれね、本当にあれなんだけど、愛し合いたいわけ、ちゃんと!するなら愛し合いたいわけ!」

設楽「でもさ、法律でも作んないとできないからやってるわけじゃん」

日村「でもね、愛は生まれないと思うんだよね。ただ欲だけが満たされて、悲しい結果に終わると思うんだよね。」

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なんか活字にするとぜんぜん面白くないですね。意外にピュアな日村さんを知りたい人はぜひ観てみてください。
で、自分だけ全てタダ法と、誰とでもセックスできる券から分かったこと。
①「欲」を満たすのと「ニーズ」を満たすのとは少し違う
②ニーズはお金や物それ自体と、それらを得る際の達成感とも関係している
③権利や法律にしたとしても、愛や達成感といった感情が満たされるとは限らない

あ、なんかうまい感じでまとまってません?
誰とでもセックスできる券。うっほほーい。
次回はもっとまじめに書くのでどうか見放さないでくださいね。


ロンドンの美容院に行ってみた(パート2)

髪もっさり色白ジャパニーズ。ちなみにおたくは英語でgeekと言います。ちよわかまるです。

さあ、お待ちかね。散髪イベントです。髪切りに行くの好きじゃないのですが、こっちではちょっと冒険気分で楽しむようになってます。前回は、ロンドンの中心Russell Square駅近くでおしゃれにカットしてもらいました。今回は、今住んでいるロンドン郊外Finchley Central周辺で散髪イベント発生。

美容院の探し方。と言ってもgoogleマップで「hair」とか入れて検索するだけですけど。目星を付けたら、美容院のホームページにいって、メンズカットも料金にあるかなあと探って、そんなに高くないしオッケーそうかなあと思ったら電話で予約。カット・シャンプーの相場は、£15~25くらいじゃないですかね。

今回の美容院は、Central Cutsというところ。Finchley Central駅に近くお値段も£20。何度か外から偵察しても異常はなさそう。ということで早速予約。

入店すると、へそ出しシャツのイケイケ風お姉ちゃんが登場。出ちゃってるへそに目と気を配りつつ、予約した旨を伝えると「私の担当ね」と告げられる。まじ?へそ出しちゃんやるの?一抹の不安を感じつつ、いつも通り、後ろはどうする、前髪はどうするなどのお決まり問答をします(Don't cut too shortとReduce volumeがぼくの常套句)。シャンプーしていよいよカット開始。そしたら「マシンでやるわ。サイズはどうする?」と言ってきまして。マシン?!サイズって?と戸惑っていると、バリカンが登場。ついにスキンヘッドか、おい、短くするなって言ったよな、へそ出してる場合じゃないぞ、おい!と内心覚悟を決めていたが、なんてことはない、えりあしとサイドをサイズ4のバリカンでいいかんじにスッキリ刈ってくれました。その後、特に会話が弾むこともなく、淡々と30分くらい切ってもらいました。その結果をなんと今日は写真付でアップしました!



じゃーん!!

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心霊写真じゃございませんよ!(○゚ε゚○)プププー
見切れてる右目のくっきり二重がまた一段と気味悪いね!
というか、顔全体映さないとバランス的に良いかどうかもわかんないねこれ!!笑
まあでも、今風なかんじで仕上がってるっぽいというのをどうしてもみなさんにお伝えしたかったのです。

結論としては、ロンドンで£20くらい払えばそんなに面白い髪型になることはないってことですね。あと、ブログとかfacebookとかに恥ずかしげもなく自撮り写真載せてるやつは相当なナルシスなんだと思いました。ではまた。


「子どもは家庭で育つべき」はホントか?

なんか、太った気がする。お腹が。まあ別にだからと言って自分磨きにジムとか絶対行かないけど。どすこい、ちよわかまるです。

以前、「赤ちゃん救出作戦」というなんとも狂気じみた思考実験をお話ししました。一言で言えば、産まれた赤ん坊を親から引きはがし「家庭」ではなく地域ケアセンターで保育と教育を行うっていうトンデモ発想。本気でいいなんて思ってないですよ。根っこにあるのは「誰が子どもを育てるのか」という素朴な疑問です。
そりゃ、親・家族ですわな。もっと言えば、父親は働いて母親がしっかり面倒見るべきだという考え方もある。

コレ、正しい?

自分が身を痛めて産んだから愛し続けられるとか、親こそ最もよい養育者だとか、子どもの発達にとってベストだとか。本日は、「親が育てるのが一番自然じゃん」についてホンマでっか的かんじで考えていきます。レッツらゴー。

家庭崩壊みたいなことが言われ始めたのはいつからですかね。80年代くらいかな。アメリカ映画では「クレイマークレイマー」「アメリカンビューティー」とかで変わりつつある家族・親子関係が描かれます。日本映画でも83年「家族ゲーム」、84年「逆噴射家族」でそれまで理想的とされた「サラリーマン家庭」が音を立てて崩壊するさまが描かれてます(どっちの映画でもパリーン、ガガガなど本当に音を立てて壊れていく笑)。いずれも、痛快家庭崩壊系コメディとしておすすめ。

1980年以前は「3歳児神話」が広まっていました。「3歳児神話」とは、子どもの成長に重要な3歳までは母親が育児に専念しなければ、子どもの発達に悪影響が出るというもの。お母さんが育児をしているからお父さんは企業戦士として全力を尽くせる。これが高度経済成長を支えたという側面もきっとあります。でも、男を仕事に女を家庭に縛りつけていた根源とも言える。そもそも、神話というだけあって、「すべての親が子どもを愛せる!」なんてすごーく根拠の薄い道徳的な議論に聞こえてしまう。夫婦が離婚しないのは愛し合ってるからだ、なーんてウソウソ。あれ、ただ面倒くさいだけだよ笑 まあ、とにもかくにも「愛しなさい」と言われて愛せたら苦労しないという話です。

学問的に「3歳児神話」に疑問が投げかけられるようになるのが80年代。育児ストレス、家庭内不和などが研究され始めて「母性」の概念が問い直される。家庭という閉鎖空間でガキんちょと二人っきりの生活が24時間365日続いてごらんなさい。まあタイヘン。そりゃあ気が滅入るってこともあります。これは実際、虐待という形で90年代後半から、社会問題になっていきます(虐待相談件数の推移)。

さらに、女性がどんどん働き始めます(女性の労働参加率上昇)。すると、時間的にも家族だけで子育てをするのは無理だ、となるわけです。さて、どうしたものか、今までは育児は家族任せでよかったんだけど、ちょっともうムリそうだ。出生率も落っこちてるし何とかせにゃならんと偉い人は考える。で、ここ数年話題の、待機児童ゼロ作戦とか、ワークライフバランスとかがでてきた。待機児童ゼロは、育児を家庭から外に出すということで、育児の「社会化」または「脱家族化」と言われます。ワークライフバランスは、家庭での育児を前提に親の仕事と家庭の両立支援なので、育児の「再家族化」というかんじです。「誰が子どもを育てるのか」という質問に対して、今の日本の政策の立場で答えると、まず家族、そしてそれを企業や地域、国で支えていくとなる(そして出生率上がってくれ!が本当の本音)。

育児の責任は一義的には親にある。
うーん、ここでひっかかっちゃう。ぼくは、誰が育児をするかと同じくらい、どんな育児をするかが大切じゃないかと思うんです。保育園の先生でも、近所のおばはんでもお兄ちゃんでも、ベビーシッターでも、なるべく多くの人がそれぞれ異なる役割を果たす。 子育てのしやすい社会ってそうやって全員で子どもにかかわっていくことじゃないですかね。それが結果として、虐待のような事態を減らすことにもつながるのではないかと。どうなんだろう。議論のありまくるところですね。ただ、親が親がと強調して家庭空間だけに育児を任せ続けるのには、もう限界が来たような気がする。

実は、ぼくの修士論文はこのへんのことをテーマにしているんです。育児休業法の改正過程のなかで「誰が子どもを育てるのか」というのがどのように議論されているのか。けっこうオモシロそうでしょ?ヾ(*´∀`*)ノ
はぁ。修士論文の愚痴と弱音を書くと長くなるので、それはまた今度。ではまた。


「大学院留学の間違い」の間違い

やっとこの地獄のような1年が終わろうとしています。ただでさえジジくさいと言われているのに5歳くらい老けた気がする。ちよわかまる(24)です。

ふわっと大学院留学を考えている方々、
知らないと入学後絶対後悔する「大学院留学8つの間違い」
読んだことあります?
まあ、いろいろな情報が飛び交って、留学サポートビジネスもはびこっていて、何が本当のことなんだろうと迷い、惑い、不安になりますよね。ただ、一つたしかなのはどの情報も一般化できないということです。ぼくが留学する目的は、あなたが留学する目的とは全く違う。だから、「経験者」の言うことはあてになるようでならない。でも、今日はあえて「経験者」の一人として、大学院留学に関して飛び交う情報を考えてみます。

まず、ぼくの立場を言わないとですね。ぼくの一番の目的は、自分の価値観の通じないところで悶え苦しむこと。だからぼくにとって、大学院留学は「目的」ではなく「手段」です。大学院留学が自分のキャリアにつながるかとか、この学校のこの先生の下で学ぶ、とかはあまり重要じゃない。あと、ぼくは日本の学部卒業後、就職せず渡英して社会科学のSocial Policyという分野を専攻した人間です(アメリカやオーストラリア、理系やアート系の修士については全く分からない)。そんな大前提のもとに話します。


留学エージェントは必要か
必要じゃない。たしかに、セミナーや留学フェアみたいなものはタダで参加する分には損はないです。でもお金を払って何から何までやってもらうというのは正直意味が分かりません。なぜなら、その部分こそ未知なる世界に踏み出す第一歩だからです。語弊はありますが、出願を自分一人でできないならば留学などしない方がよろしい、と思っちゃいます。英語のサイトを読み、自分でスケジュールを組み立て、自分で責任を取る。こんな貴重な経験をお金を払って人にやらせるなんて、とんでもない!

国から絞ってもいい
なんとなく行きたい国ってありますよね。北欧、カナダ、フランスとか。そこから始まっていいんです。だって行きたいんだから。可能性を制限することになるけど、何かしら制限しなきゃ大学院なんて星の数ほどあるんだから。まずは直観的に始めていいと思います。

英語力がなければ諦めたほうがいい
当たり前のことです。英語ができない人に大学院を勧めるのはかなり疑問。だって、大学院留学べらぼうに高いんですよ。そこに英語ができない状態で行ってそれがその人のためになりますかね。ワーホリとか語学学校とかならまだしも。ただ、もう少し根本的なことを言うと、英語が話せるかどうか以上に、留学して英語を向上させる気合と術を持っているかという点が重要です。ぼくが大学の採用担当だったら、「英語が多少話せなくても、語学の問題は自分でなんとかしながら学術的な貢献に力を注ぐ人間」を期待します。いずれにしても、英語は必須であり、どこまでも貪欲であること。これが大切だと思います。

新卒大学院留学のリスク VS 新卒大学院留学の意義
これは大きな議論の一つですね。この点こそ「経験者」の話が最も当てにならない場合が多い。なぜなら、みんな自分の主観的な話をサクセスストーリーか失敗談かにして話しがちだから。結論を言えば、リスクも意義も両方あり、どれを優先させるかという話です。リスク、たくさんありますよ。新卒採用のチャンスを失う、金がかかる、社会科学の修士号は日本じゃ役に立たない、貴重な若いときに働きもせず勉強する、などなど。リスクを違う視点で見ればメリットになる。今就職しても海外に行きたいという思いはきっとなくならない、後で行った方がもっとコストがかかる、日本で社会科学があまり発展してないからこそ取る意義がある、貴重な若い時だからこそ違った環境でいろいろ吸収できる。
優先順位は一人ひとり違う。だから、自分で何を捨て何を取るかを考え決断するしかないんです。

一度社会に出てから行くべき
正直、そう思う瞬間もあります。たとえば、Illegal Drug Policyという薬物規制政策の授業を受けていると、そういう分野で働いていた人はいろんな知識を持っていてスムーズに議論をしています。ぼくは何も知らないから、Cannabis(大麻)とかMethamphetamine(覚せい剤)など薬物の名前を調べ効能の違いを把握するだけで一苦労。Social Policyという分野では、現場がどうなっているかというのがとても重要です。若いが故の知識や経験の限界は時々感じますし、働いてから来ればもっと深められたかもなあと思うこともあります。
でもまっさらだからこそ、恥も知らずにいろいろぶっこんだりすることもできます。ある意味フラットに考えられる。若いからプライドもない。40歳になって留学して知識なかったり英語ができないと自分でも苦しくなりそうだけど、若いと「できなくて当たり前じゃんオッケー♪」だから楽。

GPAの重要性
GPAは計算方法でどうにでもなるからオッケーというのは、安易な考え方です。大学の成績は自分が「やったこと」の一つなわけだから、ちゃんと説明できなきゃいけない。自分の計算方法がどういうふうに妥当なのか、なぜ成績があまりよくないのか。特にもう既卒で成績が自力で変えられない人にとって、そういう説明(justification)は非常に大事です。
成績悪いけどまだどうにかなる人は、残りの科目全て最高の評点(A⁺なりSなり)を取るよう全力を尽くす。ぼくは大学3年の後期からめちゃくちゃがんばりました。これは勝手な予想ですが、日本の大学で満足に成績取れない人がイギリス行って世界のガリ勉を相手に生き残れるとは到底思えない。

考える続ける忍耐力
ぼくの修士生活は、ひたすら考える作業。ともかく知識を増やし、それに基づき考える。毎日毎日考える。それが1年続く。しかも高額なお金を払ってわざわざ自分からやる。コイツバカだな、と思います。「なんか楽しそう」で来てもやっていけるけど、実際楽しむ余裕がないときもある。くそうんこーって叫びたいときある。寝る前に「おれ何やってんだろう」とふと思うときある。でも、来なきゃよかったと思うときは意外とないです。

以上、けっこう批判的に書きましたが、冒頭の「大学院留学8つの間違い」は実はけっこう参考になる情報が多く、バランスよく書かれていると思います。
「海外に住んでみたい」という自分の純粋な気持ちを大事にしながら、いろいろな要素一つひとつじっくり考えて決めればいいと思います。考えぬいた結果として留学したならば、辛くてもあきらめがつくってもんですよ。
と、余計に不安をあおり立てたところで、今日はおしまいです。


とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。