読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

赤ちゃん救出大作戦

明日から授業が開始します。あー忙しくなるなー。ちよわかまるです。


突然ですが。
はい、あなた結婚しました。そして幸せなことに子どもが産まれました。元気な男の子。すると、役所職員とおぼしき黒スーツの男がぬるっと現れて言いました。

「そちらの子どもはあなた方の子どもではなく、社会の子どもです。申し訳ありませんが、子どもをお引き渡し下さい。

産まれてきた赤ん坊は国または共同体によって回収され、保育・教育センターに集められます。子どもはセンターで共同生活をしながら、ケア専門職員・教師・隣人など多くの共同体メンバーによって養育されます。
数日後、親であるあなたにセンターから手紙が届きます。

「あなたの子どもはB20班所属となりました。B20班の5名全員をお子さんだと思って良い関係を築いてください。今後いつでも、センターへお越しください。お待ちしています。」



以上、赤ちゃん救出大作戦。いかがでしょうか。
産まれた瞬間子どもはさらわれ、親は血縁関係のない子どもとも親子の関係を築かなければいけない。

実はぼく、こういうトンデモ妄想で社会問題を考えることが時々ありまして。
友達に言うと、やっぱりお前はどうかしている、社会不適合者だ、などと罵られてしまうのですが。
でも、この赤ちゃん作戦、けっこういろんな問題を考えているうちに思い付いたんですよ。

『ガラスの家族』(原題The Great Gilly Hopkins)という児童文学がありましてですね。ギリーちゃんという小生意気なガキんちょが主人公です。でも、小さいときから親と離ればなれで里親を転々とする、というけっこう大変な人生を送っています。で、トロッターさんという新しい里親のとこに預けられます。ギリーは、おおらかなトロッターおばちゃんを相手にやんちゃし放題。本当のお母さんに会いに行こうと家出も試みます。
しかし、少しずつトロッターさんとその周りの人たちから自分が信頼され、認められ、必要とされているのを感じ取っていきます。トロッターさんたちとの暮らしが自分にとって心地よく、そして必要なものになっていきます。
そこに、“本当のお母さん”が現れて、ギリーちゃんを引き取りたいと言い始めます。法制度に正当性を保証された親子関係の前に、里親と子どもの関係はいとも簡単に崩されてしまうのです。

日本の児童相談所における児童虐待相談件数は年々増加しています。育児や仕事の疲れで父親や母親が子どもに暴行を加えてしまう。そりゃつらいですよ、絶対。毎日毎日泣きわめく子どもの面倒見て、ちょっと成長したと思ったら口ごたえするようになって。子育ては「家庭」というブラックボックスに押し込められる。親は物理的・精神的に追い詰められていく。一方、結婚せず子どもがいない人たちは、子育てに参加しなくていいのでしょうか。イスラエルには、かつてキブツというコミュニティがあり、communal child rearingが行われていました。

子どもはと言えば、家庭と学校に閉じ込められています。日常で接する大人は、親と先生だけ。親の価値観よりももっと楽しくて魅力的な考えっていっぱいありますよね。家庭や学校は国家の前提として存在する社会的制度だけど、その外側にだってたくさん面白いことは転がっているし、学べることもある。ぼくにとって大学に行ったことは、まさにそんなかんじの経験でした。


一体、誰が子育てをするのか。ぼくは無関係なのか。
親子や家族という人間関係は血縁によってしか形成できないのか。
「社会全体で子育てを」とは具体的にどんな社会を目指すのか。


けっこう根本的で規範的なことなので、これ!って答えなんてないんですけど。Social Policyを勉強していると考える場面がたくさんあります。実際、ぼくのDissertationはこのあたりのお話になりそうなのです。
と、今日はこのへんにしておきましょう。トンデモ妄想の回でしたー。

 

 

とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。