フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

人間のニーズを考える 2

久しぶりの連投です。リスとブタのハイブリッド、ちよわかまるです。

はい、啓発度の高い回です。ニーズとは何か。前回は、バナナマンの自分だけ全てタダ法と、誰とでもセックスできる券からヒントをいただきました。今日は、そのへんをもう少し学術的な話に乗せていこうと思います。がんばるよ、ぼく。

ニーズをどのように定義するかから始めてみますか。まず、Needs(必要なもの)とWant(欲しいもの)は違います。Wantには必要ではないものも含まれている場合があります。ニーズというと、もっと基本的で必要不可欠なものに限定されます。じゃあ、基本的で必要不可欠ってなによ?となるわけです。ここで、Poverty(貧困)の概念と同様に、絶対的と相対的が問題になります。人間として生きていく上で何が絶対に必要か(Absolute needs)。その社会で生活する上でどの程度必要か(Relative needs)。めんどくさいですが、この二つをまず考えてみます。

人間が個人として生きていくために絶対に必要なものは、けっこう議論されてきました。Doyal & Gough(1991)は、人間の活動に必要なもの(basic needs)を二つ指摘しました。一つは、Physical health(身体の健康)。これを満たすため、衣食住の提供、疾病予防や医療などが必要になります。もう一つは、Personal autonomy(個人の自主自律)。これは少しわかりにくいですが、「自分で考え自分で決める能力」ってかんじですかね(貧困の話で出てきた“agency”に近い)。自分で決めるためには知識、理解力、実行力が必要で、そのためには教育制度が必要になります。

同じように、心理学者のMaslowも人間の欲求の階層を示しました。下から、生理的欲求・安全欲求・所属と愛情の欲求・承認欲求・自己実現欲求です。Maslowのポイントは、下に位置するニーズがより基本的で不可欠だという点です(身体のニーズを満たすのが第一で、内面のニーズはその後)。

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でも、こうして人間全員に共通するニーズって「誰が考えるか」によって変わりません?心理学者が考えるニーズと、医者が考えるニーズは違うでしょう。時代によってもけっこう異なるかもしれない。愛に飢えたこのご時世、もはや衣食住より先に愛情が必要なのかもしれませんよね。そう、ニーズとは「誰がいつどこで考えるか」によって違うふうに決められるのです。社会によって変わってしまう、だから相対的(relative)なわけです。

Bradshaw(1972)は、社会政策や社会サービスにおいて、ニーズが誰にどのように決められるかに着目しました。そして具体的に以下4つのニーズに分類しました。

  • 専門家によってルール化されるNormative needs
  • 一般人への意識調査に基づくFelt needs
  • 政治家や市民運動の要求によって決められるExpressed needs
  • 別の地域の人との比較によって決められるComparative needs

このように、実際の政策や社会サービスでは、ニーズはこれだ!と一つに決められないわけです。特定の人たちの意思(政治要求や利権)や制度上の制約(予算や給付方法)によって、不要なものがニーズとして取り入れられたり、必要なものが排除されてしまったりという場合もありうるわけですわ。

要するに、
There cannot be one true meaning of a word like ‘need’” (Dean, 2010: 4).
「ニーズ」のような言葉を一つの定義では説明できない、というわけです。


さてさて、教科書的なつまらない情報はこの辺にして。少し自分の生活で考えてみると面白いですよ。お金があって衣食住は整っている。自分のことは自分で考えてやっていける。じゃあ、一人でお金さえあれば生きていけますか?
ぼくは、何度かビッグイシューを売っているホームレスの人に「ビッグイシューの収入はそんなに多くないのにどうして続けているんですか」と聞いたことがあります。総じて、「販売を通して人と会って話すのが楽しいから」というような答えが返ってきます。
ぼくは、これしっくりきます。人間関係は、お金や健康とならんで生きていく上で大事なものだと思っています。でも、これって政策やサービスにできるのだろうか。。。

このへんの、人と人のかかわり合いについては、次回ニーズとウェルビーングの話で掘り下げていきたいと思います。よし、今日はがんばったのでもうおしまい!


【参考文献】
Bradshaw, J. (1972). The Concept of Social Need.
Dean, H. (2010). Understanding Human Need. Bristol: The Policy Press.
Doyal, L. and Gough, I. (1991). A Theory of Human Need. Basingstoke: Macmillan


いま、告白します

5回に2回、社会の窓がひらきっぱなし。なんちゃってね。ちよわかまるです。

それにしても、お久しぶりです。今日はブログを更新しまくると固く心に決めて参りました。期待してください。生ぬるいトピックで、この1ヶ月の穴埋めができるなんて考えちゃいませんぜ。昨今facebookやらブログやらで垂れ流されている、わたしの生活充実してるでしょ?おれの考えてることすごくね?的なナルシス投稿にうんざりしてしまった方。お待たせしました。今日は、ぼくが1年間の留学でできなかったことを徹底的に掘り下げていきます。ありふれた留学の成功体験などもう聞き飽きたんじゃい!!


早速いくんじゃい。一番できなかったこと。
何でも話せる仲のいい外国人の友だちができなかった。
わーーーショッキーング。鼻から牛乳ですよ。「イギリスで友達できた?」と聞かれ、「いるっちゃあいる」とか「勉強ばっかであんまりそういう機会がなかった」などと小賢しい言い訳をして、この現実を認めてきませんでした。しかし、はっきり宣言します。外国人の友だちはできなかった!!
なぜか。なぜなら、英語が通じない。通じたとしてもすごい時間がかかる。そんなところでストレスを感じたくない。勉強が大変だからそっちを優先しよう。そういう逃げとあきらめの姿勢がありやした。
「言語も文化も通じない環境に身を置きたい」とかかっこつけたこと言って渡英しました。言葉を取ったらただのポンコツおじさんでした。ぼくは、日本語でも英語でも、言葉にとても依存して人間関係を築いていたわけです。だから、言葉を取ると魅力も中身もないスカスカ人間。身から染み出る人間の魅力みたいなものはない。薄っぺらい言葉を並び立てて人と付き合っている。そういう面が自分にあるんだなと思い知らされました。

次にできなかったこと。勉強以外の活動。ボランティアでも、イベント運営でも何でもいいんだけど、組織に入って誰かと一緒に何かをやるという経験が全くできなかった。そりゃ、グループプレゼンとか話し合いとか学校でたくさんありましたよ。でも、そんなのどうにでもなる。そうじゃなくて、いろいろ違う意見をぶつけ合いながら3ヶ月先のイベントの準備をするとか、そういうものすごいめんどくさいことに挑戦できなかった。
なぜ挑戦しなかったか。勉強が忙しいという言い訳を1年間続けてしまったのです。やろうと思えばいくらだってできたはずなのに。また逃げちゃったわけ。

はぁ。書くのが辛くなってきたけど、あと少しじゃい!

できなかったこと、最後の一つ。じゃあ、果たしてそんなに勉強したか、と言えば実はそこまで勉強しなかった。何かにつけて言い訳言って勉強してたんなら、学問の方ではさぞ優秀な成果を残したんだろうね... もちろん、そんなことあるわけないがなー!!くそうんこー!!(▼皿▼#)
やっぱり、ぼくは学問で成果を残せるほどの論理的思考力はないんです。そもそも知識も不足してたんだから、行く前にもっといろいろ勉強しておけばよかった。どちくしょう。

結局のところ、最後まで自分の世界に閉じこもりたいという“逃げ”の自分に打ち勝てなかった。内向的で引きこもり的な一面は、今後も大きな課題です。どんな環境に放り込まれようが、そこで会った人がどんな人で何を大切にしているのかをちゃんと話せるようになりたい。改めてそう思いました。


はい、もうこのへんで勘弁してください( ;∀;)
正直な気持ちと徹底的な自己批判を晒してみました。今後も、書きたくないことこそ、まるっと書いていきますのでお楽しみに。


帰還、帰国、帰郷

ぼくの育った町には、いわゆるマイルドヤンキーがけっこういるのかも。公立中学に通い、公立高校に進学し、地元で就職。かたや、大卒さらには大学院まで行ってしまったはぐれ者、ちよわかまるです。

実は一週間ほど前に日本に帰国し、ローカル感あふれる実家に住み着いています。ぼくの地元は都心に近いんですが、「民度が低い」とよくバカにされ、そして自虐ネタにもしています(笑)
地元を歩いて見かけるのは、ちょっと悪ぶりたい男の子(でも根は優しそう)、化粧が独特な女の子(でも流行っぽくはない)、自由が丘や表参道にはまずいないであろうファミリーなどなど。多様性の町・ロンドンから来たぼくは「そうそう、この閉鎖的で一様なかんじ!」と日本の地域社会に帰ってきた実感を日々噛み締めています。個人的には、こういう都市と地方のはざまみたいな場所のゲオとか、本屋とか、カラオケとかけっこう好きです。

さて、今日はそんなくだらない話をしておしまいです。なぜわざわざ帰国の報告なんぞしたかと言えば、もし万一修士留学などにご興味があり、ちよわかまるってどんなエリート戦士なんだろうと思われた場合、運が良ければ会えますよーということを伝えるためでした。実際にこのブログの縁でお会いした人もいたので。コメント欄よりご連絡いただければ、一応お会いするのはやぶさかではないというかんじです。生意気なぼくを殴りつけるために会ってやろうという人も、まあやぶさかではないというかんじです(せめてグーではなくパーでお願いしたいところ)。

あと、今後ブログの更新頻度は減っていくと思います。そして今年いっぱいでブログを書くのを終わりにするつもりです。残りの期間で書こうと思っているのは、

  • 現在書き途中のニーズ(Human needs)の議論
  • 英語のAcademic Writingに使えるサイトなど
  • 1年間修士で学んでみて何を得たか

ぼくとしては、今後留学を考えている人に有益になりそうな情報は、もうほぼ書ききったと思っています。「もっとココが知りたい!」みたいなことがあれば、それもコメント欄からお書きください。ぼくが「ふむたしかに」と思えば、採用させていただくかもしれません。

それでは残り少ない期間ですが、引き続きちよわかまるをどうぞよろちくび。


イギリスでおいしい和食洋食を作ろう

帰りたい、もうやだ助けて、帰りたい。ちよわかまるで~す。

もはや語りつくされたと思われるテーマ、イギリスの食。言うほどまずくもないんですよ。たとえば、フィッシュ&チップス。カラッとあがっていておいしい。他にも、ショートブレッドとか、スコッチエッグ、パンケーキなどなど。まあ日本の寿司みたいに、これ!って決め手はあんまりないけど、ちゃんとおいしい。

ただ一点、飽きる。これは別にイギリスに限らず、日本を飛び出せばよく感じることなんですよねー。ルワンダ、イスラエル、スイス、ポーランド、どこに行っても思いました。決定的な差は、味付けの繊細さだとぼくは思っています。日本食には煮物や漬物など味の濃い物がある一方、冷奴・椎茸や松茸の丸焼き・ほうれんそうのおひたし・豚しゃぶ・オクラのおかか和え、などなど素材そのものに「いい塩梅」で味付けをして食べるっていうのがけっこうある。油も使わず、スープやだしも使わないシンプルな料理ってすごいよなあと思います。そう、今日は日本人の料理は素晴らしい!という愛国心にあふれたお話です。


ぼくにとって重要なのは、自炊でどうやって料理と食事を楽しむか。まず調味料の調達。醤油はこちらのスーパーでも時々見かける。みそ、酒、だし類(かつおやこんぶ)はあまり見かけない。日本人の主成分である米ですが、日本米(「錦」という種類が有名)は大きいスーパーだと売っているところもある。ロンドンの普通のスーパーでほぼ全滅なものとして、
大豆製品(豆腐、油揚げ、納豆)
海藻類(こんぶ、わかめ、ひじき)
粘りイモ類(里芋、とろろいも、こんにゃく)
根菜系(ごぼう、レンコン、大根)
薬味(しそ、みょうが、ごま、紅ショウガ)
豚肉の薄切り(現地スーパーではだいたいブロックかダイスか)
などなど。こういった食材が欲しければ、ピカデリーサーカスのライスワインやArigatoに直行しましょう。比較的手ごろな値段で入手可。根菜系やイモはジャパンセンターに行けば高いが入手可能。ごま油や赤唐辛子、豆板醤は中華街でも手に入る。残念ながら、しそは見つからなかった。
(ぼくは料理に砂糖とみりんはあまり使わないので不要でした。塩は日本産を買いました)

でまあ、最低調味料さえ集めておけばどうとでもなります。たとえば、鍋。
鶏肉・えのきだけ・キャベツ・ネギ・しょうがを現地スーパーで買って、ごま油で肉を炒めて野菜をぶっこんで、こんぶだし・みそ・醤油・酒で味を付ければみそ風味の鍋になる。豆腐もあるとおいしい。

親子丼はもっと簡単。卵・鶏肉・玉ねぎ・小ねぎを買って、しょうゆ・酒・だしで終了。

炊き込みご飯も簡単。ちなみに炊飯器がなくても計量カップ・大きめの鍋・IH的なものがあればご飯は簡単に炊けてしまう。一度に2合炊く場合。
①計量カップで300cc分の米をとる(米2合がだいたい300cc)
②軽く洗い(とぎたい人はとぐ)鍋に入れる
③計量カップで400ccよりちょい多い(420-425cc)くらいの水を測り鍋に
④吸水30分
⑤蓋はせず強火にかけ、ぶくぶく泡が立つまで沸騰させる(火にかけて約5分でなる)
⑥蓋をして弱火で15分
⑦蓋を開け鍋と蓋の間にふきんを張って再度蓋をして11~12分蒸らす
⑧出来上がり
炊き込みご飯の場合は吸水中に、スーパーで買った鶏肉・しいたけ・人参・しょうがを適当に切ってぶち込み、醤油・酒をだいたい1:1、こんぶだしを適量入れる。あとは白米を炊くのと同じ要領で炊けばOK。ちなみに、これと同じ要領でパエリアもできる。

日本食以外となると、やはりパスタが簡単で安全。麺はwaitroseのものがおいしいです。トマト缶・玉ねぎ・にんにく・オリーブオイルでトマトソースを作り置きして、ベーコン・なす・きのこなどとまぜればトマトパスタとなる。カルボナーラやアンチョビのペペロンチーノも簡単でお手頃。ちなみに、全粒粉(whole wheat)のパスタや5分で茹で上がるクイックパスタはまずいので気を付けてください。

マッシュルームは£1でたくさん買えるおトク食材。他のキノコも意外に安い。そこできのこリゾットなんて簡単にできる。バターを熱し、粗みじんにしたきのこを軽く炒める。だいたい火が通ったら牛乳を入れ、煮立たないよう気を付けつつ塩コショウで味付け。残りごはん投入。で、最後にチーズを好きなだけ入れる。こっちのスーパーの見どころはチーズの豊富さ。パルメザンチーズもおいしいものがあり、その他ゴーダやチェダーなども。

その他に現地スーパーで意外にお手頃な食材は、カラーピーマン、アボカド、ブロッコリーなど。どれも日本ではけっこう高いけど、こっちだとだいたい£1。
魚介類は高いのであまり挑戦したことない。スーパーでエビを買ったのと、市場で牡蠣を買ったくらい。でも、最近発見した、アヒージョなんてしゃれた食べ方はけっこうおいしい。

なんか「ちよわかまるのイギリスクッキング」みたいになってしまった。
手に入らないものはあまりないので、あとはどうやって飽きないように組み立てるかですね。主婦の味方、ちよわかまるがお届けしました。


人間のニーズを考える 1

大人ガーリー系ってなんぞや。大人なの?ガールなの?
がっつり悪魔系男子のちよわかまるです。

今回からだらだら何回かに分けて、Human Needsについて考えようと思います。Human NeedsはSocial Policyという学問の主要テーマの一つです。日本語ではニーズ
、 要は生きていく上で何が必要かという議論です。以前、貧困についてざっと書きました。貧困の議論はどっちかというと「何が欠けているか」「何が原因か or 誰のせいか」というネガティブなかんじでしたね。ニーズの議論は、「人間には何が必要か」「よりよい人生には何が必要か」という建設的なかんじなのが面白いところ。

ものすごいざっくり全体像を言いますと、
①Identification of needs:パンツが必要だ!というニーズの「発見」
②Commodification:パンツを自分で作る or 市場で買うというニーズの「商品化」
③Claim:パンツはみんな平等に最低限必要なものなんだ!というニーズの「主張」
④Social right:誰でもパンツゲットだぜ!のルールを作るというニーズの「権利化」

ニーズの議論の目指すところは、自分だけでなく社会のルールにして、誰でもそのニーズを満たせるようにするってことですね。


よし。小難しい話はこのへんにして、本日の本題。ぼくの好きな芸能人の一人、バナナマン。バナナ炎という番組で「一つだけ好きな法律を作れるならこんな法律」というテーマで話した回があります(見たい人はこちら)。もちろん日村さんだけでなく設楽さんも変態なので、金とエロにまみれたトークが展開されます。ものすんごいくだらないんだけど、法学部のつまらん授業よりよっぽど法律の本質が伝わる。


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設楽「自分だけ全てタダ。これはいいよね。みんなは普通で自分だけ全部タダ」

日村「それはすごいよ。何もかもでしょー。電車からバスからタクシー、飛行機、食事。・・・でも想像したら悲しい話だね」

設楽「なんで?」

日村「なんか、なんのためにおれって生きてるんだろうとかさ思うだろうね」

設楽「そうだねえ。ある程度最初は楽しいけどね、洋服屋さんとか行っても全部タダだし」

日村「なんか楽しくないでしょ?お金ためてやっと買ったとかいうものはもうないよね。仕事もしなくていいんだから、毎日ボサーっとしてさ、悲しくない?なんかそれって」

設楽「たしかに楽しい時期があって、そのうち何のためにって思うだろうね」

設楽「じゃあセックスだよセックス。誰とでもセックスできる券。国民全員には配らないの。国がいろいろ調べてあまりにこの人はできてないっていう人を7人だけ決めて配る。その7人が、その券を出したらもう誰も断れない

日村「泣かない?その渡された女の子?おれそういうとこ気にしちゃうのよ。グイグイ始まった時に、相手がガンガン泣いてるみたいなさ」

設楽「そりゃ泣くかもしれない。法律はできるっていうとこだけだから、感情は操作できないよ

日村「だったらその券を広末涼子さんにとはいかないね、たぶん。泣くもん広末さん。あのね、おれね、本当にあれなんだけど、愛し合いたいわけ、ちゃんと!するなら愛し合いたいわけ!」

設楽「でもさ、法律でも作んないとできないからやってるわけじゃん」

日村「でもね、愛は生まれないと思うんだよね。ただ欲だけが満たされて、悲しい結果に終わると思うんだよね。」

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なんか活字にするとぜんぜん面白くないですね。意外にピュアな日村さんを知りたい人はぜひ観てみてください。
で、自分だけ全てタダ法と、誰とでもセックスできる券から分かったこと。
①「欲」を満たすのと「ニーズ」を満たすのとは少し違う
②ニーズはお金や物それ自体と、それらを得る際の達成感とも関係している
③権利や法律にしたとしても、愛や達成感といった感情が満たされるとは限らない

あ、なんかうまい感じでまとまってません?
誰とでもセックスできる券。うっほほーい。
次回はもっとまじめに書くのでどうか見放さないでくださいね。


とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。