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フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

「民主主義」にご注意ください

ロンドンはけっこう涼しく、ていうか少し肌寒くなってます。青空の下で爽やかに鼻くそをほじってるちよわかまるです。

大学生の時にぼくがいたサークルで代表を決める時のこと。代表候補の3人が部屋から抜けて外で話し合って代表を決めるということがあった。いわゆる密談。若かりしぼくは「民主的な決め方じゃない」と強く反対した。
でも、「民主的な決め方」ってなに?なんでそれの方が密談よりイイの?と今ボクは過去ボクに尋ねたい。

こういう話はけっこういろんなとこに転がってる。たとえば大阪市長の橋下さん(執筆時点ではまだ現職)。時々記者会見を見ていると、「嫌なら選挙で私を落としてください」「反対ならあなたが選挙に出てやってみてください」というかんじの発言がある。なんて乱暴な!と思う人もいるだろうし、実際ぼくも、「それを言ったら何も言えないよお」とついつい思う。でも、この「乱暴さ」こそが民主主義の優れた点であり困った点だというのが今日の話。

民主主義は、たぶん、限られた人だけでなくみんなで平等に話し合いに参加して決めましょうね、っていう考え方。でも日本だけでも1億という人がいて、みんなで話し合うのは到底無理だし非効率的だから、話し合ってくれる人を選びましょうとなる。これが選挙。すると、選挙で受かった人が自らの判断に基づいて行動するのは問題ないという結論に一応たどりつく。橋下さんの態度が好きか嫌いかは置いておいて、選ばれた人が自らで判断して物事を決めるのは独裁にも見えるが、選挙でお墨付きを得ているから民主主義の(正しい)意思決定になる。

でも、そもそも「みんなで決めたほうがいい」っていう前提は相当怪しい。Aさん、Bさん、Cさんで話して決まることを、関係ないDさん~Zさんまで引っ張り出して話すとなれば時間もお金もかかる。A~Cさんが戦争参加反対でD~Zさんが参戦賛成なら、あっさり戦争参加になるわけで。昔のドイツは、この民主主義の暴走の例で引き合いに出される。

政治思想の話の時はいつも鼻くそをほじっては飛ばしてたけど、唯一覚えているのがイギリスのロックさん。ロックさんは、みんなの同意(社会契約)で社会を作ろうよと専制政治からの変革を言いつつ、国民代表のみによる純粋な民主制は主張しなかった。理由は「大衆の軽率な愚考による秩序崩壊の危険性」。つまり、パンピーが国を混沌に陥れると。たぶん、大衆革命で血が流れ続ける当時のカオス状態にうんざりしちゃったんでしょうね。結果、大衆の暴走を国王と貴族がチェックするという立憲君主制になった。

だから、民主主義がいい社会をもたらすなんて全く一概には言えない、とひそかに思っちゃったり(社会不適合者に思われそうで大きな声で言えないよお)。

そうやって考えていくと、安倍さんや橋下さんに対する「民主主義に反する」とか「強行採決で横暴だ」みたいな批判も実はあんまり本質的じゃないというか、違和感が多いという感じ。だって、民主主義ってそういうものじゃん。自分たちの考えを言う。選挙で数を取る。意思決定をする。そうして決めた法律は(一応)民主主義政治の結果となる。どんなに低い投票率だろうが、選挙があり代表が選ばれたなら、その後に何を言っても遅い。

法制度を変えたいなら方法は2つ。一つは、選挙で数を取って数の力で変える。民主主義を主張し現状を変えたいなら当然そうなる。もう一つは、民主主義というシステムを修正する、またはそれに代わるシステムを主張する。よい法制度が決められる仕組みを考えるということ。特にこの二つ目の点はけっこう大事だと思うけど、今やってるデモも新聞も、そういうことはあんまり言わない。強行採決(=多数決)を批判するなら、今の民主主義を否定するわけだから、代わりとなる物事の決め方を示すことが必要になるはずなんだけど。批判をすること(言論批判、内閣不支持率を上げる、デモ行動)は、ある一時点の民主主義の暴走を監視するという意味で大事だけど、長期的な変化につながるとは限らない。特に、理由はわきに置いてただ「反対!」という旗印のもとに集まっているだけだと、これはこれで乱暴にも見える。

たとえば、参議院は選挙じゃなくて、国民の当番制にする「当番制参議院」。兵役はないけど議員役みたいにして、各都道府県・男女・年代とかの観点で均衡になるようにして、3年間くらい東京に住んで国会審議してもらう。もちろん給料・生活費全て国費。民主主義を支持する割に、こういうのを聞くと「それは面倒くさいな」と思っちゃうんだよね。
もう少しマシなアイディアとして、今ある外部有識者による「審議会」の政策立案システムを利用する手もある。今は政府の「隠れ蓑」としてお墨付きを与えるだけになっているなんて批判されているけど、もっと省庁官僚の運営から独立して専門家たちが自前で運営し監査権や拒否権を持てば、意思決定をチェックする独立機関として機能する可能性がある(これって司法の役割な気もするけど)。まあ、完全に独立した機関なんて日本にできるとも思えないが(笑)
もっとちゃんとしたアイディアとして「熟議民主主義」っていう政治思想がある。よく知らないけど、よく知りたい人はコチラ

こうして恥を晒したのは、最近の若者のデモを見たから。ぼくと同じくらいの年代ががんばっていてすごいなあと思う一方で、具体的出口の見えない主張が展開され、それが「若者の声」として取り上げられることに違和感もある。結局のところ「声をあげたもん勝ち」の論理で、根本的な今の社会の問題点の解決にはつながっていないように見えてしまう。「全員」は無理でも「なるべく多くの人」が納得できる決断を出すには、どのような「決め方」をつくったらいいんだろうか。そんな議論もあったらいいなあ。ズブの素人感をさらけ出したところで今日はおしまい。

あ、すんごい鼻くそ出た(*´艸`*)


とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。