フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

年末の大清算

1時間ほど前から狂ったようにブログ更新に励んでおります。ちよわかまるです。

来年の幸せを願うという意味でも、2014年の汚れは今のうちに落としておきたいところです。ということで、9月以降のLSEでの学び、学び、学びの生活をスマートかつエレガントに振り返ってみようかと思います。
ていうか、そもそもなんでイギリスに勉強しに来たのかをあまりお話ししていないような気もします。誰も興味ないだろうけど別にいいもんねー。一人でペラペラ話しちゃうもんねー。


大学時代になんとなく、ルワンダの学生と交流するサークルに入りました。ルワンダに行ったり、ルワンダ人を日本に連れてきたりというような活動です。ルワンダ人を日本に招致した時に、日本の貧困について考えるという企画を任されました。企画を進めるなかで、雑誌を路上販売するホームレスの人たち、ビッグイシューという企業を知りました。その時人生で初めてホームレスの人と話して、「自分とホームレスの人はずいぶん共通点があるんだな」と思いました。当たり前なんですけどね。
しかしこれが意外にも衝撃的な経験だったようで、ルワンダや国際紛争よりも、身近な貧困に目が向いてしまうようになりました。
大学生活の後半で、実際に仲間を募って組織をつくって、ホームレスという一つの現象に向き合ってみました。ホームレスの人の話を聞くイベントをやってみたり、釜ヶ崎というかつての日雇い労働者の町にフィールドワークに行ってみたりと、学生気分で自由気ままにいろいろとやってみました。そうやって、実際に見たり聞いたりすることを繰り返していたわけですが、そのなかで「生の知」みたいなものが溜まってしまいます。

福祉ねえ、社会の構造的なアレか、いや自己と他者の関係性ってのが・・・うーん。いいや、げんしけんでも見ようっと。
あーでもやっぱもやもやしちゃってんな。整理したいな。ソクラテス先生とかに聞けばいいのかなあ。

こうして、Social Policyならちょっと勉強してもいいかしらんと考えるようになりました。


そういった点では、LSEでの勉強は今のところかなりオモシロい。
学部時代を圧倒的に凌駕するほどの読書量、エッセイを書く場合はさらなる読書量と分析力が求められます。インプットしている間はかなり大変ですが、Seminarやエッセイというアウトプットを通して少しずつ現実問題に近づき、かつ理論と理論が相互に結び付いていきます。
ぼくは Social Policyの理論と、Criminal Justice Policyという刑事・犯罪政策の授業をとっています。理論的に重なる部分もありまして、たとえば、貧困の原因と犯罪の原因の議論には類似する点があってつながった時は興奮ポイントです。

あとはエッセイですね。エッセイはだいたい1500-2000wordsです。でもこれ評価の対象ではない、Formative Essayというやつでして。これが、LSEまたはイギリス大学の授業設計として面白い点なのです。目的は、十分な知識の獲得、文献に対する批判分析力、 バランスの取れた論理展開です。これに対して、教授からフィードバックがきます。
1500wordsなんて一大事ですよ。書くのも大変ですが、それ以上に相当量の文献を普段の授業と並行して読まなきゃならんのが大変です。ただそこまでやりますと、その問題について自分なりに説明して、批判することができるようになります。

ちなみに、ぼくは2つのエッセイを書きました。
・現在の保守連立政権の貧困政策の主軸、及び前労働党政権のそれとの違いを説明せよ。
・犯罪に対する不正確なメディア報道が、実証的かつ合理的な刑事政策を妨げる。論ぜよ。

どちらもなかなか面白い物でして、たとえば貧困政策についていえば、各政党はマニフェストでかなり詳細な貧困の分析をしています。12月の日本の衆院選では経済政策が中心でした。けっこう違うもんだなあと思いましたね。
もう一つのメディアと犯罪についても、明らかに厳罰化の流れにある日本において、メディアと刑事政策の関係は一考の価値ありです。統計では凶悪犯罪は減少しているのにもかかわらず、治安が悪くなっていると思う(いわゆる体感治安の悪化)傾向があります。これって犯罪だけじゃないと思うんですよね。原発、 STAP細胞、従軍慰安婦など、誤報または過剰報道というメディアの功罪につながるなあと。


とまあ、けっこう楽しい一方で、 とっても大変な3ヶ月でした。専門機関でプロジェクトや政策を実施してきたわけではなく、学生に毛が生えた程度の経験値ですからね。知識不足、経験不足、語学力不足のたどり着く先は、I don't know、I'm not sureです。あーもーいやだ。
特に語学の面では、ある種のdisabilityを抱えているような感覚でした。自分がこれまで当たり前だと思っていたことができない。いかに「言葉」に依存しながら生活してきたのかを痛感する毎日です。
大したこと言っているわけではないのに、ペラペラ強気に話してドヤ顔しているヨーロッパ人は叩き潰していかんとね(笑)


ぼくの経験は体系化されているのか、白黒つかない議論の中で一層ぐちゃぐちゃのどろっどろになっているのか、ちょっとまだ分かりませんが・・・とりあえず続けてみるしかなさそうです。
それではこのへんで。皆さま、よいお年をお迎えください。

 

 

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寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。