フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

LSE留学で何を得たのか

みなさん、年末いかがお過ごしですか。ぼくは久しぶりにゆっくり過ごしています。寝正月万歳、ちよわかまるです。

今さらですが、このブログの更新終了まであと1日となりました。あと1日の時点でカウントダウンを始めるという、今までにない斬新な手法を採用してみました(笑)
ということで、集大成です。

1年間500万円かけてLSEの大学院留学で何を学び、得たのか。

書くのがめんどくさそうな内容ですが、ゆっくりじっくり振り返るとします。


①多角的・複眼的視点
「多角」というのは「角度がいっぱい」つまり、一つの事柄をこっちから見たりあっちから見たりということ。「複眼」はいくつかの目でいろいろギョロギョロと見るということ。
これはSocial Policy含む「社会科学」の基本的なスタンスだと思います。一つの政策や現象を語るときには、必ず様々な情報や証拠を集めて、かつ、それらから予測できる事柄も考慮して、その上で慎重に言葉にして結論を示す。LSEではとくに、たくさん論文を読んで議論をふくらませるというところが重視されていた気がします。常に異なる考え方を想定して議論の余地を残しながら、最終的な決断を導くという感じです。
こういう能力を身に付けると、まーーー相当めんどくさい人間になります(笑) でも、この複雑怪奇な現代社会においては、とても大事な力だと思います。ぼくのなかには、ちよわかまるBがいます。ちよわかまるAが偉そうに「これはこうだ!」と話していると、ちよわかまるBが「それって本当?」と投げかけてくれる。
自分の考えを絶対化せず、常に修正変更できるようにしておく。

②自分の役割を考える
自分がどのような人間で、どのような貢献ができるのか。これを常に考えさせてくれる1年間でした。たとえば、刑事政策の授業のゼミで、日本の犯罪率の低さと死刑制度が話題になると「なぜか?どう思うか?」と聞かれる。なんとなーく答えることはできたとしても、学術的に論理的にしっかり答えるのはなかなか難しいです。でもこういうときに、自分の「学術世界(academia)」への貢献が問われているのだと感じました。
修士論文は、自分の役割や貢献を考える絶好の機会となりましたね。自分の興味・現在起きている問題・これまでの研究の未解明部分。それらの交差する部分を探り出して、問題設定します。たとえば、ぼくは「誰が子育てをすべきか」を疑問に思っていて、最近日本では男性の育児休業が話題になっている。2009年育児休業法の改正では、男性の育児休業取得の促進が盛り込まれた。でも、誰がその法改正の議論に参加し、どのような政策的議論がなされたのかは、明らかにされていない。ここで、日本語の文献が読めて、かつ、欧米の議論もかじっている自分にはできることがありそうだ、となるわけです。
修士論文は、学術的な能力を身に付けると同時に、とことん自分と向き合う作業だった気がします。うん、すごい大変だった。。。

③多様性を楽しむゆとり
たとえばですね、普段の英語があまり上手じゃなくてもとても鋭い指摘をしていたり、かっこいいかんじで話してるけど重箱の隅つっついているだけだったり。この一年で、「人は見かけではない」「話してみるまで分からない」というのをたくさん経験しました。日本にいる時もそう思っていましたが、比べ物にならないくらいそう思ったということです。
あと、違う国の人と英語で話しているときや一緒にどこかへ行った時の行動。ぼくは、いつも自分の意見をちゃんと英語で伝えたい、自分のくだらない話で楽しませたいと考えてました。自分のことで必死なブサイク人間ですね。でも、LSEのエリートのなかには、常に周りを第一に考えられるスーパーエリートがいました。そこで会話している全員が楽しめるように話題を振ったりとか、自分のことを後回しにして他の人が喜ぶように行動したりとかね。
ぼくにはまだ多様性を心から楽しめるほどの寛容さや余裕はありません。LSEで出会ったスーパーエリートたちは、とてもいい目標になっています。

④社会政策研究の第一線からの問いかけ
社会政策に限った話になるかもしれませんが、貧困や福祉を100年以上も前から研究しているイギリスのLSEで学ぶというのは非常に面白いです。たとえば、貧困ではこういう議論があって、ジェンダーではこういう議論が展開されているのか、とそれぞれの領域(トピック)で理論や変遷を把握できます。イギリスでしかお目にかかれない議論に身を投じるというのは、本当に視野と世界が広がります。そして、そこでぐいっと広げた視野で、日本の現状を再度みつめてみると、また新たな発見があるかもしれない。そういう可能性を強く感じます。


こうして振り返って言葉にしてみると、ぼくはLSEでの1年間で相当多くのことを学んだんだなあと少し思います。でも、それが実感できるのは5年後、10年後ともっと後になるかもしれない。
「1年間500万円の価値があったか?」
申し訳ないですが、今のぼくにはわかりません。ただ、可能性はたくさんもらった。それを「価値あるもの」にするかどうかは、今後の自分次第なのだと思います。

らしくない、格言めいたことが出てしまったので、もう終わりです ╮( •́ω•̀ )╭
明日、いよいよ感動のラスト!



とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。