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イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

人間のニーズを考える 3

最近、1日10,000歩あるいています。弁当を作っています。ゆっくりお風呂につかっています。健康男子です。ちよわかまるです。

このブログは1ヶ月に1回配信されるメールマガジンのようになっちゃいましたね(笑) いや、いいんですよ。だって趣味だもの。仕事じゃないもの。


さて、前回残しておいた問いから始めましょう。
すこぶる健康でお金さえあれば、生きていけますか?あなたのニーズは満たされたと言えますか?
先に言うと、ぼくはNOだと思うんです。ひきこもりがちのぼくですが、ひきこもりすぎて人と話したいと思うようになります。誰かを大事にしたいし、されたいとも思う。前回のMaslowの欲求ピラミッドを思い出してください。真ん中から上の3つ(所属と愛情の欲求・承認欲求・自己実現欲求)は、自分一人じゃなくて、他者とのかかわりのなかから得られるものです。

ついに、「人間とは何か」という一番根本的で厄介なことを考えなくてはならなくなるわけです。自立した個人と考えるのか、他者と支え合って生きる存在ととらえるのか。うーん、ムズカシすぎるー。
ここで役立つのが、LSEのHartley Dean教授のUnderstanding Human Needという本です。Deanさんは、「人間とは何か」という問いに対して、Thin needとThick needという二つに視点から議論を展開しています。

まず、Thin need(薄いニーズ)。これはですね、個人(individual)をベースにしています。ここで言う個人は、自分中心・打算的な個人です(Hedonism)。自分の利益を最大限追求し(pleasure seeking)、不利益を最小限に抑える(avoid pain)。ある意味、私たちの本能本質ですね。
この個人が集まってできた社会は、なるべく多くの人の利益を増やし、不利益を小さくすることを目指します。聞いたことがありますね。「最大多数の最大幸福」ってやつです。福祉制度としては、働ける人は働く(例:就労支援)、事情があって働けない人には経済的な援助をする(例:生活保護や各種扶助)というものです。個人の経済的ニーズに限定して、福祉を実行することになります。

これに対して、Thick need(厚みあるニーズ)は、人とは脆く(vulnerable)、だからこそ協力して支え合う存在だという人間観に立ちます。個人ではなく集団(collective)を中心として、お互いに助け合いリスクを共有する社会となります。具体的には、社会保険のような互助的なシステムによって支え合うわけです(例:全メンバーからお金を集めておいて病気になったメンバーにお金をあげる)。個人の経済的な利益追求のみならず、お年寄りや子どもに対するケアや教育も人間のニーズに含まれていきます。このように、Thick needの中心には、Interpersonal attachment(人間同士の思いやり)、Solidarity(連帯)、Social engagement(社会参加)といったキーワードが並びます。


さてさて、ThinとThickの比較から、全く違う人間観が出てきましたね。ぼくらは、個人として自立することが立派で当たり前だと思っています。働いて生計を立てる。自ら考え、決定し、行動する。そんな「強い個人」になるように求められている。ヨーロッパの人権の思想も日本の憲法も、そんなスーパー個人を前提にして、Thin needの方を前面に押し出してきました。
が、しかし、バナナマンの日村が言ったように、または、DeanさんがThick needで示したように、人間はもっと弱く不安定で、目に見えないもの(愛情・信頼・達成感など)によって自らの存在意義を認識し、人間らしさを得ている。そして、その目に見えないものは、他者とかかわる・支え合うという過程でしか得られないものです。

でも、どうやってThick needを満たせるような福祉制度をつくればいいのだろうか?お金をあげて住居見つけて就労支援して、それ以上国家ができることはあるのか?うーーーん。


と、読者の皆さんにもやもやを残して、今日はおしまいにします。今日のトピックは書くのけっこう大変でした。ぼくのなかでは、ニーズの議論で一番面白いところなんですけど、たぶんうまく伝えられてないだろうなあ。まあ、許してくだしゃい。
疲れてきたので次回でこのテーマを終わりにします。それではまた。


とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。