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Garlandさんの犯罪論

はい、もうね、テスト近づいてきてるよお(-_-)
なに、教場試験って?ちょっと酷じゃあありやせんか?あたしゃ日本人100%だよ!しかも、ちよわかまるだよ!!

正直に言います。今日はただ自分の理解を深めるためだけに書きます。ですので、普段に増して面白さや新鮮味のない、ただの文字の羅列になりますね。ごめんねごめんねー。

テーマは刑事政策です。もうありとあらゆる論文でお目にかかる人。ズバリ・・・
David Garland (2001) The Culture of Control.
ってやつ。存命する犯罪学者の中じゃあ最も重要な人物なんだってさ。そういう前評判を聞くとホントかなあ~と疑っちゃいます。何を書いたかというと、要は、社会の変化に伴い、犯罪と刑事政策が変わったよって話。じゃ行ってみよう。

1960年からの社会変化
まず、社会的・経済的・文化的変化があったよーってことです。Garlandさんいわく、Transformation in late modern societyだそうです。

1. 市場経済に基づく大量生産・大量消費 (モノがあふれすぎなんだよ!)
2. 家族構造の変化 (お前らもう離婚すんのかよ!) 
3. 生活基盤の変化 (満員電車、渋滞、新幹線、あら便利!)
4. マスメディアの発達 (何を信じればいいんだーーー!)
5. 生活の民主主義化 (社会運動が増えたってこと)

そして、これらの変化に応えるように政治も変化する。
・ネオリベラリズム(新自由主義):規制緩和・市場優先
・ネオコンサバティズム:道徳や伝統の強調
・小さくて効率のいい政府、でも威厳は保ちたい
というかんじで。

で、もう少し犯罪に関する変化を言うと、犯罪が劇的に増えちゃったわけです。

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Source: イギリス犯罪統計法務省(2013)犯罪白書

上のグラフで明らかですね。50年代からの大量増加というのは英米をはじめとする多くの先進国で見られる現象らしいです。で、さすが日本。そんな流行なんて従いません!笑 英米の認知件数の増加は、いろんな理由があるようですが、やはり機会=モノが増えた(携帯電話、チャリとか)ってのが大きいみたい。他にもインターネットとかインサイダー的なアレとかの新しい犯罪空間ができたり、失業者の増加という要素も関係していたり。まあキリがないですな。
ちなみに、日本もイギリスも殺人とか傷害などの血が流れる犯罪は割合としては少なくて、7割くらいは物に対する犯罪(窃盗や器物破損とか)が占めているんです。

刑事政策の変化①:福祉的な視点を捨てる
そんなこんなで、大量の犯罪増加に対応する政府は大変。しかも予算は減る一方。犯罪者一人ひとりに合ったケースワークよりも、費用対効果を加味した現実的な政策立案にシフト。どうやって犯罪または犯罪者の社会の安全に対するリスクに効率的に対処するか、となるわけです。さらに、リスクに対応する主体として政府・公的機関以外の人たち(NPOとか地域の町会とか)も活用していくわけです。

変化②:日常的なリスクを自分で防ぐ
犯罪はもう日常茶飯事だ、自分の身は自分で守りましょうね、という自己責任的な考え方です。簡単に言えば防犯ですね。これは、Situational Crime Preventionという戦略につながります。Situational、つまり状況や環境を変えることで犯罪を未然に防ぐってことです。たとえばそうだなあ、自転車ロックをパワーアップしたり、女性専用車両とかもその例なんじゃないですかね。

変化③:「危ない他者」の分離
一方でですね、罰の側面も強めます。犯罪者は社会との関係性の中で「潜在的に危ない他者」と位置付けられます。また出てきたね、「安全な自分ー危険なあなた」という二分です。徹底的な警察活動により路上から不審者(ホームレス、売春婦など)を排除する。そして、刑務所は更生施設よりも「隔離施設」としての機能を強める。

お察しの通り、矛盾しちゃってるわけです。一方では、お金がないんだから効率的に犯罪を防止または対処していこうといいつつ、他方では、犯罪撲滅運動のようなかっちょいいスローガンを掲げてお金がかかっても「正義」を実行しようとする。効率を考えつつ、国家による権威的な介入は続ける。Garlandさんはこんな矛盾する刑事政策になってますよーって言ってるんですな。


もちろんGarlandさんの主張するCulture of Controlに反対する人もいますよ。日本もね、少年法と暴力団関係は厳罰化の動きと言えるかもしれないけど、刑事政策全体としてはどうなんでしょうねえ。裁判員制度で判決が厳しくなったのも、厳罰化よりも国民の参加を目指した結果だと思うし。
まあ、もう疲れちゃったからGarlandさんの主張についてはまた今度考えましょう。

今日はずっとまじめなちよわかでしたー。

 

とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。