フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

人間のニーズを考える 4

人生で初めてサンタクロースをやることになりました(寝ている間にそっとプレゼントを置いておくというリアルなやつ)。ほっほっほっ、メリークリスマス!ちよわかまるです。

ニーズの議論も今日で終わりにします。今までの話を簡潔にまとめると、
健康と自己決定が基本的なニーズとして認められている。しかし、誰がどの時代にどのように「ニーズ」をとらえるかによってその内容はだいぶ変わってくる。個人がどのように一人で強く生きていくか、というところから、個人がどのように社会の中で他者とかかわり合い生きていくのかという視点が大事になってきている。


少し具体的に考えてみましょう。たとえば、日本は途上国と比べれば生活水準が高く保たれている(こういう比較は、先進国の貧困や途上国の豊かさを無視するという点で違和感がありますが)。また、教育制度も整っています(この点ももちろん違和感がありますが)。ぼくたちは、教育を通して文字や計算を覚え、社会で何が起こっているのかを考えられるようになり、自分で考えて行動できる人間になる。こういうふうに考えると、基本的なニーズである健康と自己決定が満たされていると言える。

でも、経済的な豊かさと幸福感は比例しないという発見もあります。これはEsterlin paradox(イースタリンの逆説)と言って、おそらく途上国開発の研究分野で登場したのだと思います。一般的には経済が豊かになれば人々も幸せになると思われています。でも、案外そうじゃないよという話。

There was no reliable link between increases in average incomes and levels of self-assessed well-being... Economic welfare did not correspond predictably with people’s overall satisfaction with their lives (Jordan, 2008).

(収入の増加と幸福度との間にははっきりした関連は見られなかった。経済的に豊かだからといって人生における満足度が高いというわけではなかった。)

 

また、同じ先進国であるイギリスで調査をしたところ(Young Foundation, 2009)、人々は心理的・精神的なニーズ(psychological wellbeing and material prosperity)もとても重視していることが分かりました。実際、4人~6人に1人が一生のうちのある時期にメンタルヘルスの問題を抱えたことがあるそうです。調査は、失業や高齢者の貧困と同じくらい、もしくはそれ以上に、精神的な不健康や人間関係のトラブルが今日のリスクになっていると結論付けています。

そう考えていくと、今ある制度に対する見方も変わってきます。
お金があるまたは仕事があるということと同時に、「どんな人と仕事をするか」「自分の仕事を価値があると思えるか」などが大事になる。
学校で良い成績を収めるのと同じくらい、「どのような友達をつくるか」「どれくらい他者を信頼できるか」が大事になる。

じゃあ具体的にどうすんの?という話ですよね。政策や法律は、職場や学校の人間関係までコントロールすることはできない。だから、ここまで考えてきたことは、現在の就労支援や教育制度の具体的な改善方法を与えてくれるわけではない。でも、もっと日常的な場面でのヒントを与えてくれる。

ぼくは先日ラーメンを食べに行ったんです。塩ラーメンを食べながらふと思った。
「毎日ラーメンを作り続けるって生き甲斐になってるのかな。いや、ぼくだったらやっぱりたまには『おしかったよ』とかお客さんにちゃんと言ってほしい」
そして、店を出る時、「ごちそうさまでした、おいしかったです」と言ってみました。いぶし銀な店長がアメをくれました。

「結局、偽善ぶったありがとう運動か」と思われるかもしれない。でもね、真面目に考えた結果なんですぅ。「ニーズ」の問題って、案外ぼくたちの普段の何気ない行動で解決できるんじゃないでしょうか。別に大きな政府じゃなくても、Social policyは実行できるはず。


なんだか、いつも自分の日常生活のことに結びついてしまいます。まーそれがSocial Policyを勉強する面白さでもあるんだと思います。


【参考文献】
Jordan, B. (2008). Welfare and Wellbeing: Social Value in Public Policy. Bristol: The Policy Press.
Young Foundation. (2009). Sinking & Swimming: Understanding Britain's Unmet Needs.


★関連資料
「ストレスは健康に良い」というとても興味深いプレゼンです。一体どのように考え、どのように行動すればいいのか。一見の価値あり。

www.ted.com



気を付けろ、席を立つとき、忘れ物

「普通に」って何なんですかね。「テスト、普通にやばいんだけど」って普通なの?やばいの?どっちなの?普通に意味わかんないんだけど。ちよわかまるです。

実は、いまロンドンにおります。Hampsteadです。会いたい人は連絡してくださいね。なぜいるかと言えば、卒業式に出席するためです。ええ、ぼく卒業したんです。なんちゃってマスターの出来上がりです。

まあ、そんな話はどうでもよくてですね。みなさん、よく忘れ物とか落とし物とかしますか?たぶん、こういうのは「する人」と「しない人」に分かれるんじゃないかと思います。ぼくは、「しない人」なんです。だったんです。

今回の日本からロンドンへの経路は、羽田→ロンドンの直通だったんですね(JTBから意外にリーズナブルにゲットできました)。いつもと違うのは連れがいたということです。母と姪。まあ、順調に空港について、荷物も預けて、出国手続きも済ませて。さてと、出国手続き後の搭乗エリアでゆっくりお茶でもしようか、とカフェの椅子に腰かけた。


おや、ポケットにぼくの7万円のスマフォの感覚がない?!


終わった。
あーこれもう海外保険にお電話コースだ。契約しといてよかった。いや、携帯会社に電話してGPSで探してもらえたりするのかな。ていうか、どこだよ、どこで失くすタイミングがあったんだよ。あーもう、とりあえず鳴らしてみよっかな。
いろんな思考を駆け巡らせながら、ぼくは空港を駆け巡る。体から嫌な汗。でもここから、日本の空港スタッフの神対応が始まる。

まず、出国手続き窓口(出国のハンコを押してくれるところ)の脇にある事務所に行き
事情を説明(ここがスマフォ探しの拠点となる)。男の職員の方がすぐに「それじゃ、まず荷物検査のところを見てみましょう」と一緒に確認しに行く。残念ながら見つからず。そう、ぼくは荷物検査の前に失くした気がしていたんです。そこで、男の職員は航空会社JALのスタッフに連絡し、出国フロア(スーツケースを預けるとこ)の落とし物を確認してもらうことに。

事務所で数分待っていると、JALの女性スタッフが無線を持って登場。
「忘れ物を管理しているインフォメーションセンターにそれらしきものがあるみたいです。ただ、もっと詳しくお客様のケータイの特徴を教えて頂きたいとのことです。」

キター。光明見えたり。幸いにもぼくのスマフォのロック画面は、姪が鉄棒からぶら下がり、ぶら下がっている二本の腕の間からもう一人の姪が顔を出している、という唯一無二の画像でしたので、それを説明(一人がこうぶら下がって、もう一人がその間から・・・と説明していたら女性スタッフが笑ってました笑)。

数分後「どうやら確認がとれたようですので、これから1階まで取って参ります」と素早く歩き出し、そのまた数分後、ぼくのスマフォを持って到着。日本人スタッフの素早い対応のおかげで、奇跡的にぼくのスマフォは見つかったのです。羽田空港とJALには頭が上がりません。

携帯の待ち受けは、独創性あふれる画像にしておくこと。
どこで忘れたのかをお茶を飲みながら冷静に考えること。
そして、日本人スタッフを信じること。

みなさんも忘れ物、落とし物にはくれぐれもご注意ください。

 

LSEの1年の流れ

フリーター、イギリスへ行く、スーパーエリートになる、そしてニートに返り咲く
というブログ名にしようか迷っています。高学歴ニートの星、ちよわかまるです。

日頃の行いが悪いからか、今日は調子が悪い。頭が痛い。ただの頭痛かとばかにしているそこのキミ。ぼくと頭を交換してくれませんか。
こんなときこそ、ブログを書いて気分転換しようっと。


修士プログラムのスケジュールのイメージがつかみにくい。
そんなことを時々言われます。ということで、大学院への入学から卒業までの約1年をまるっと書いてみます。小粋な一言を添えて。

9月 “英国に降り立つ若き(好)青年”
早めに行ってPre-sessional courseを受講したい、または、新しい環境に慣れておきたいという人は9月に到着となるでしょう。希望と不安に胸を膨らませる、とはまさにこの時のこと。

10月~12月 “忙しいときは一杯のココア”
Michaelmas Term(MT)が始まる。オリエンテーションが行われ、同級生や教員たちとも知り合う。科目説明会を聞いたのち、1年間の科目登録を行い、授業開始。また、まだ授業も受けていない段階で修士論文のテーマ決めて、指導教授も決定される。
たくさんの英語の論文やエッセイなどに戸惑いながらもがむしゃらに生きる3か月間。Academic Buildingのカフェのココアを飲んで癒される。

休憩 “現実逃避のスイス旅行” 
つかの間の冬休み。休み明けにエッセイの提出がある場合は、休み中もそれなりに忙しい。旅行に行く人も多い。

1月~3月 “青年、堕落する”
Lent Term(LT)開始。MTと同様に授業を受けつつ、エッセイやプレゼンをこなしていく。同時並行で、修士論文も進めるのでなかなか忙しい。だが、英語論文の読み方が分かってきて手を抜き始めるのもこの時期。くれぐれも日本のアニメは観ないように。

休憩 “桜が見たい春休み”
桜が見たいと思い、ついつい公園に飛び出したくなる時期。

4月 “迫る試練、焦る気持ち”
Summer Term(ST)開始。授業は、テスト対策(Revision session)があるのみ。つまり、実質、自主勉強期間。同級生と答案を交換したり、図書館にこもったりというのが定番のスタイル。ここで慌てれば、まだ間に合うはず。

5月 “ゆけ!世界のガリ勉とともに”
試験。LSEの場合、エッセイではなく教場試験が多い。試験一発勝負。追い詰められたら人はけっこうがんばれるものです。

6月~8月 “不安と超不安にはさまれて”
試験も終わり、いよいよ残すところ修士論文のみ。9月1日提出期限のため、実質2ヶ月で書くことになり、けっこう大変。さらに、試験は大丈夫だったのだろうか、この論文は期間内に終わるのだろうかという不安にまみれた生活になる。

9月10月 “日本太り”
日本に帰国。実家に帰る。お世話になった人、サークルの友だち、ブログで知り合った人などに会う。日本の料理がおいしすぎて止まらなくなる。仮の評点(Provisional results)がオンラインで発表されるので、各科目の単位がとれたかどうかとりあえず分かる(修士論文のProvisional resultはなかった)。
卒業が確定していないのに、12月の卒業式の予約をしろと迫ってくるあたりがLSEらしい。

11月 “審判の日”
11月の上旬、卒業できているかどうかと最終成績が発表される。
12月に卒業式がある。ガウンと帽子を装着して(レンタルです)学長の祝辞のスピーチを聞くと卒業の実感が湧く。


とまあこんなかんじの1年です。盛りだくさんだから気を付けてね。
では頭が痛いのでこのへんで。


※2015/16の年から年間の予定が若干変更されました。Reading Weekという資料読もうぜ週間(要は自習期間)が設けられたようです。詳しくはコチラ


連絡手段

ちよわかまると留学のことでいろいろ話したい。でもコメントするのはちょっと...

そんなちょっと恥ずかしがり屋さんなそこのあなた。
gmailのアカウントを作りました!(chiyowakamaruあっとgmail.com)
ちょっと気になるあーんなことやこーんなことも、個人的に好きなだけ聞けますよー

嬉しいことに、「会って話したい」とコメントして下さる方がけっこういらっしゃいます。でも、連絡先が書かれていなくてそれでうだうだやるのが面倒なので、もう直接メールしてもらった方が手っ取り早いんですよね。

こちらのメールは週1くらいで確認するよう努力します。留学に関することであれば、なんでもけっこうです。会って話したいという方は、お名前や学問分野などをざっと書いてお送りください(都合が合わず、会えないかもしれませんが)。
ブログの内容に対するご指摘やご意見もけっこうですが、そういう類のものは記事のコメントからお願いしたいです。

なにコレ、留学エージェント?こうやって起業とかしちゃう学生いるよね。いるよね~。


人間のニーズを考える 3

最近、1日10,000歩あるいています。弁当を作っています。ゆっくりお風呂につかっています。健康男子です。ちよわかまるです。

このブログは1ヶ月に1回配信されるメールマガジンのようになっちゃいましたね(笑) いや、いいんですよ。だって趣味だもの。仕事じゃないもの。


さて、前回残しておいた問いから始めましょう。
すこぶる健康でお金さえあれば、生きていけますか?あなたのニーズは満たされたと言えますか?
先に言うと、ぼくはNOだと思うんです。ひきこもりがちのぼくですが、ひきこもりすぎて人と話したいと思うようになります。誰かを大事にしたいし、されたいとも思う。前回のMaslowの欲求ピラミッドを思い出してください。真ん中から上の3つ(所属と愛情の欲求・承認欲求・自己実現欲求)は、自分一人じゃなくて、他者とのかかわりのなかから得られるものです。

ついに、「人間とは何か」という一番根本的で厄介なことを考えなくてはならなくなるわけです。自立した個人と考えるのか、他者と支え合って生きる存在ととらえるのか。うーん、ムズカシすぎるー。
ここで役立つのが、LSEのHartley Dean教授のUnderstanding Human Needという本です。Deanさんは、「人間とは何か」という問いに対して、Thin needとThick needという二つに視点から議論を展開しています。

まず、Thin need(薄いニーズ)。これはですね、個人(individual)をベースにしています。ここで言う個人は、自分中心・打算的な個人です(Hedonism)。自分の利益を最大限追求し(pleasure seeking)、不利益を最小限に抑える(avoid pain)。ある意味、私たちの本能本質ですね。
この個人が集まってできた社会は、なるべく多くの人の利益を増やし、不利益を小さくすることを目指します。聞いたことがありますね。「最大多数の最大幸福」ってやつです。福祉制度としては、働ける人は働く(例:就労支援)、事情があって働けない人には経済的な援助をする(例:生活保護や各種扶助)というものです。個人の経済的ニーズに限定して、福祉を実行することになります。

これに対して、Thick need(厚みあるニーズ)は、人とは脆く(vulnerable)、だからこそ協力して支え合う存在だという人間観に立ちます。個人ではなく集団(collective)を中心として、お互いに助け合いリスクを共有する社会となります。具体的には、社会保険のような互助的なシステムによって支え合うわけです(例:全メンバーからお金を集めておいて病気になったメンバーにお金をあげる)。個人の経済的な利益追求のみならず、お年寄りや子どもに対するケアや教育も人間のニーズに含まれていきます。このように、Thick needの中心には、Interpersonal attachment(人間同士の思いやり)、Solidarity(連帯)、Social engagement(社会参加)といったキーワードが並びます。


さてさて、ThinとThickの比較から、全く違う人間観が出てきましたね。ぼくらは、個人として自立することが立派で当たり前だと思っています。働いて生計を立てる。自ら考え、決定し、行動する。そんな「強い個人」になるように求められている。ヨーロッパの人権の思想も日本の憲法も、そんなスーパー個人を前提にして、Thin needの方を前面に押し出してきました。
が、しかし、バナナマンの日村が言ったように、または、DeanさんがThick needで示したように、人間はもっと弱く不安定で、目に見えないもの(愛情・信頼・達成感など)によって自らの存在意義を認識し、人間らしさを得ている。そして、その目に見えないものは、他者とかかわる・支え合うという過程でしか得られないものです。

でも、どうやってThick needを満たせるような福祉制度をつくればいいのだろうか?お金をあげて住居見つけて就労支援して、それ以上国家ができることはあるのか?うーーーん。


と、読者の皆さんにもやもやを残して、今日はおしまいにします。今日のトピックは書くのけっこう大変でした。ぼくのなかでは、ニーズの議論で一番面白いところなんですけど、たぶんうまく伝えられてないだろうなあ。まあ、許してくだしゃい。
疲れてきたので次回でこのテーマを終わりにします。それではまた。


とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。