フリーター、イギリスへ行く

イギリス/大学院留学/LSE/Social Policy

気を付けろ、席を立つとき、忘れ物

「普通に」って何なんですかね。「テスト、普通にやばいんだけど」って普通なの?やばいの?どっちなの?普通に意味わかんないんだけど。ちよわかまるです。

実は、いまロンドンにおります。Hampsteadです。会いたい人は連絡してくださいね。なぜいるかと言えば、卒業式に出席するためです。ええ、ぼく卒業したんです。なんちゃってマスターの出来上がりです。

まあ、そんな話はどうでもよくてですね。みなさん、よく忘れ物とか落とし物とかしますか?たぶん、こういうのは「する人」と「しない人」に分かれるんじゃないかと思います。ぼくは、「しない人」なんです。だったんです。

今回の日本からロンドンへの経路は、羽田→ロンドンの直通だったんですね(JTBから意外にリーズナブルにゲットできました)。いつもと違うのは連れがいたということです。母と姪。まあ、順調に空港について、荷物も預けて、出国手続きも済ませて。さてと、出国手続き後の搭乗エリアでゆっくりお茶でもしようか、とカフェの椅子に腰かけた。


おや、ポケットにぼくの7万円のスマフォの感覚がない?!


終わった。
あーこれもう海外保険にお電話コースだ。契約しといてよかった。いや、携帯会社に電話してGPSで探してもらえたりするのかな。ていうか、どこだよ、どこで失くすタイミングがあったんだよ。あーもう、とりあえず鳴らしてみよっかな。
いろんな思考を駆け巡らせながら、ぼくは空港を駆け巡る。体から嫌な汗。でもここから、日本の空港スタッフの神対応が始まる。

まず、出国手続き窓口(出国のハンコを押してくれるところ)の脇にある事務所に行き
事情を説明(ここがスマフォ探しの拠点となる)。男の職員の方がすぐに「それじゃ、まず荷物検査のところを見てみましょう」と一緒に確認しに行く。残念ながら見つからず。そう、ぼくは荷物検査の前に失くした気がしていたんです。そこで、男の職員は航空会社JALのスタッフに連絡し、出国フロア(スーツケースを預けるとこ)の落とし物を確認してもらうことに。

事務所で数分待っていると、JALの女性スタッフが無線を持って登場。
「忘れ物を管理しているインフォメーションセンターにそれらしきものがあるみたいです。ただ、もっと詳しくお客様のケータイの特徴を教えて頂きたいとのことです。」

キター。光明見えたり。幸いにもぼくのスマフォのロック画面は、姪が鉄棒からぶら下がり、ぶら下がっている二本の腕の間からもう一人の姪が顔を出している、という唯一無二の画像でしたので、それを説明(一人がこうぶら下がって、もう一人がその間から・・・と説明していたら女性スタッフが笑ってました笑)。

数分後「どうやら確認がとれたようですので、これから1階まで取って参ります」と素早く歩き出し、そのまた数分後、ぼくのスマフォを持って到着。日本人スタッフの素早い対応のおかげで、奇跡的にぼくのスマフォは見つかったのです。羽田空港とJALには頭が上がりません。

携帯の待ち受けは、独創性あふれる画像にしておくこと。
どこで忘れたのかをお茶を飲みながら冷静に考えること。
そして、日本人スタッフを信じること。

みなさんも忘れ物、落とし物にはくれぐれもご注意ください。

 

LSEの1年の流れ

フリーター、イギリスへ行く、スーパーエリートになる、そしてニートに返り咲く
というブログ名にしようか迷っています。高学歴ニートの星、ちよわかまるです。

日頃の行いが悪いからか、今日は調子が悪い。頭が痛い。ただの頭痛かとばかにしているそこのキミ。ぼくと頭を交換してくれませんか。
こんなときこそ、ブログを書いて気分転換しようっと。


修士プログラムのスケジュールのイメージがつかみにくい。
そんなことを時々言われます。ということで、大学院への入学から卒業までの約1年をまるっと書いてみます。小粋な一言を添えて。

9月 “英国に降り立つ若き(好)青年”
早めに行ってPre-sessional courseを受講したい、または、新しい環境に慣れておきたいという人は9月に到着となるでしょう。希望と不安に胸を膨らませる、とはまさにこの時のこと。

10月~12月 “忙しいときは一杯のココア”
Michaelmas Term(MT)が始まる。オリエンテーションが行われ、同級生や教員たちとも知り合う。科目説明会を聞いたのち、1年間の科目登録を行い、授業開始。また、まだ授業も受けていない段階で修士論文のテーマ決めて、指導教授も決定される。
たくさんの英語の論文やエッセイなどに戸惑いながらもがむしゃらに生きる3か月間。Academic Buildingのカフェのココアを飲んで癒される。

休憩 “現実逃避のスイス旅行” 
つかの間の冬休み。休み明けにエッセイの提出がある場合は、休み中もそれなりに忙しい。旅行に行く人も多い。

1月~3月 “青年、堕落する”
Lent Term(LT)開始。MTと同様に授業を受けつつ、エッセイやプレゼンをこなしていく。同時並行で、修士論文も進めるのでなかなか忙しい。だが、英語論文の読み方が分かってきて手を抜き始めるのもこの時期。くれぐれも日本のアニメは観ないように。

休憩 “桜が見たい春休み”
桜が見たいと思い、ついつい公園に飛び出したくなる時期。

4月 “迫る試練、焦る気持ち”
Summer Term(ST)開始。授業は、テスト対策(Revision session)があるのみ。つまり、実質、自主勉強期間。同級生と答案を交換したり、図書館にこもったりというのが定番のスタイル。ここで慌てれば、まだ間に合うはず。

5月 “ゆけ!世界のガリ勉とともに”
試験。LSEの場合、エッセイではなく教場試験が多い。試験一発勝負。追い詰められたら人はけっこうがんばれるものです。

6月~8月 “不安と超不安にはさまれて”
試験も終わり、いよいよ残すところ修士論文のみ。9月1日提出期限のため、実質2ヶ月で書くことになり、けっこう大変。さらに、試験は大丈夫だったのだろうか、この論文は期間内に終わるのだろうかという不安にまみれた生活になる。

9月10月 “日本太り”
日本に帰国。実家に帰る。お世話になった人、サークルの友だち、ブログで知り合った人などに会う。日本の料理がおいしすぎて止まらなくなる。仮の評点(Provisional results)がオンラインで発表されるので、各科目の単位がとれたかどうかとりあえず分かる(修士論文のProvisional resultはなかった)。
卒業が確定していないのに、12月の卒業式の予約をしろと迫ってくるあたりがLSEらしい。

11月 “審判の日”
11月の上旬、卒業できているかどうかと最終成績が発表される。
12月に卒業式がある。ガウンと帽子を装着して(レンタルです)学長の祝辞のスピーチを聞くと卒業の実感が湧く。


とまあこんなかんじの1年です。盛りだくさんだから気を付けてね。
では頭が痛いのでこのへんで。


※2015/16の年から年間の予定が若干変更されました。Reading Weekという資料読もうぜ週間(要は自習期間)が設けられたようです。詳しくはコチラ


連絡手段

ちよわかまると留学のことでいろいろ話したい。でもコメントするのはちょっと...

そんなちょっと恥ずかしがり屋さんなそこのあなた。
gmailのアカウントを作りました!(chiyowakamaruあっとgmail.com)
ちょっと気になるあーんなことやこーんなことも、個人的に好きなだけ聞けますよー

嬉しいことに、「会って話したい」とコメントして下さる方がけっこういらっしゃいます。でも、連絡先が書かれていなくてそれでうだうだやるのが面倒なので、もう直接メールしてもらった方が手っ取り早いんですよね。

こちらのメールは週1くらいで確認するよう努力します。留学に関することであれば、なんでもけっこうです。会って話したいという方は、お名前や学問分野などをざっと書いてお送りください(都合が合わず、会えないかもしれませんが)。
ブログの内容に対するご指摘やご意見もけっこうですが、そういう類のものは記事のコメントからお願いしたいです。

なにコレ、留学エージェント?こうやって起業とかしちゃう学生いるよね。いるよね~。


人間のニーズを考える 3

最近、1日10,000歩あるいています。弁当を作っています。ゆっくりお風呂につかっています。健康男子です。ちよわかまるです。

このブログは1ヶ月に1回配信されるメールマガジンのようになっちゃいましたね(笑) いや、いいんですよ。だって趣味だもの。仕事じゃないもの。


さて、前回残しておいた問いから始めましょう。
すこぶる健康でお金さえあれば、生きていけますか?あなたのニーズは満たされたと言えますか?
先に言うと、ぼくはNOだと思うんです。ひきこもりがちのぼくですが、ひきこもりすぎて人と話したいと思うようになります。誰かを大事にしたいし、されたいとも思う。前回のMaslowの欲求ピラミッドを思い出してください。真ん中から上の3つ(所属と愛情の欲求・承認欲求・自己実現欲求)は、自分一人じゃなくて、他者とのかかわりのなかから得られるものです。

ついに、「人間とは何か」という一番根本的で厄介なことを考えなくてはならなくなるわけです。自立した個人と考えるのか、他者と支え合って生きる存在ととらえるのか。うーん、ムズカシすぎるー。
ここで役立つのが、LSEのHartley Dean教授のUnderstanding Human Needという本です。Deanさんは、「人間とは何か」という問いに対して、Thin needとThick needという二つに視点から議論を展開しています。

まず、Thin need(薄いニーズ)。これはですね、個人(individual)をベースにしています。ここで言う個人は、自分中心・打算的な個人です(Hedonism)。自分の利益を最大限追求し(pleasure seeking)、不利益を最小限に抑える(avoid pain)。ある意味、私たちの本能本質ですね。
この個人が集まってできた社会は、なるべく多くの人の利益を増やし、不利益を小さくすることを目指します。聞いたことがありますね。「最大多数の最大幸福」ってやつです。福祉制度としては、働ける人は働く(例:就労支援)、事情があって働けない人には経済的な援助をする(例:生活保護や各種扶助)というものです。個人の経済的ニーズに限定して、福祉を実行することになります。

これに対して、Thick need(厚みあるニーズ)は、人とは脆く(vulnerable)、だからこそ協力して支え合う存在だという人間観に立ちます。個人ではなく集団(collective)を中心として、お互いに助け合いリスクを共有する社会となります。具体的には、社会保険のような互助的なシステムによって支え合うわけです(例:全メンバーからお金を集めておいて病気になったメンバーにお金をあげる)。個人の経済的な利益追求のみならず、お年寄りや子どもに対するケアや教育も人間のニーズに含まれていきます。このように、Thick needの中心には、Interpersonal attachment(人間同士の思いやり)、Solidarity(連帯)、Social engagement(社会参加)といったキーワードが並びます。


さてさて、ThinとThickの比較から、全く違う人間観が出てきましたね。ぼくらは、個人として自立することが立派で当たり前だと思っています。働いて生計を立てる。自ら考え、決定し、行動する。そんな「強い個人」になるように求められている。ヨーロッパの人権の思想も日本の憲法も、そんなスーパー個人を前提にして、Thin needの方を前面に押し出してきました。
が、しかし、バナナマンの日村が言ったように、または、DeanさんがThick needで示したように、人間はもっと弱く不安定で、目に見えないもの(愛情・信頼・達成感など)によって自らの存在意義を認識し、人間らしさを得ている。そして、その目に見えないものは、他者とかかわる・支え合うという過程でしか得られないものです。

でも、どうやってThick needを満たせるような福祉制度をつくればいいのだろうか?お金をあげて住居見つけて就労支援して、それ以上国家ができることはあるのか?うーーーん。


と、読者の皆さんにもやもやを残して、今日はおしまいにします。今日のトピックは書くのけっこう大変でした。ぼくのなかでは、ニーズの議論で一番面白いところなんですけど、たぶんうまく伝えられてないだろうなあ。まあ、許してくだしゃい。
疲れてきたので次回でこのテーマを終わりにします。それではまた。


人間のニーズを考える 2

久しぶりの連投です。リスとブタのハイブリッド、ちよわかまるです。

はい、啓発度の高い回です。ニーズとは何か。前回は、バナナマンの自分だけ全てタダ法と、誰とでもセックスできる券からヒントをいただきました。今日は、そのへんをもう少し学術的な話に乗せていこうと思います。がんばるよ、ぼく。

ニーズをどのように定義するかから始めてみますか。まず、Needs(必要なもの)とWant(欲しいもの)は違います。Wantには必要ではないものも含まれている場合があります。ニーズというと、もっと基本的で必要不可欠なものに限定されます。じゃあ、基本的で必要不可欠ってなによ?となるわけです。ここで、Poverty(貧困)の概念と同様に、絶対的と相対的が問題になります。人間として生きていく上で何が絶対に必要か(Absolute needs)。その社会で生活する上でどの程度必要か(Relative needs)。めんどくさいですが、この二つをまず考えてみます。

人間が個人として生きていくために絶対に必要なものは、けっこう議論されてきました。Doyal & Gough(1991)は、人間の活動に必要なもの(basic needs)を二つ指摘しました。一つは、Physical health(身体の健康)。これを満たすため、衣食住の提供、疾病予防や医療などが必要になります。もう一つは、Personal autonomy(個人の自主自律)。これは少しわかりにくいですが、「自分で考え自分で決める能力」ってかんじですかね(貧困の話で出てきた“agency”に近い)。自分で決めるためには知識、理解力、実行力が必要で、そのためには教育制度が必要になります。

同じように、心理学者のMaslowも人間の欲求の階層を示しました。下から、生理的欲求・安全欲求・所属と愛情の欲求・承認欲求・自己実現欲求です。Maslowのポイントは、下に位置するニーズがより基本的で不可欠だという点です(身体のニーズを満たすのが第一で、内面のニーズはその後)。

f:id:chiyowakamaru:20151011214112j:plain


でも、こうして人間全員に共通するニーズって「誰が考えるか」によって変わりません?心理学者が考えるニーズと、医者が考えるニーズは違うでしょう。時代によってもけっこう異なるかもしれない。愛に飢えたこのご時世、もはや衣食住より先に愛情が必要なのかもしれませんよね。そう、ニーズとは「誰がいつどこで考えるか」によって違うふうに決められるのです。社会によって変わってしまう、だから相対的(relative)なわけです。

Bradshaw(1972)は、社会政策や社会サービスにおいて、ニーズが誰にどのように決められるかに着目しました。そして具体的に以下4つのニーズに分類しました。

  • 専門家によってルール化されるNormative needs
  • 一般人への意識調査に基づくFelt needs
  • 政治家や市民運動の要求によって決められるExpressed needs
  • 別の地域の人との比較によって決められるComparative needs

このように、実際の政策や社会サービスでは、ニーズはこれだ!と一つに決められないわけです。特定の人たちの意思(政治要求や利権)や制度上の制約(予算や給付方法)によって、不要なものがニーズとして取り入れられたり、必要なものが排除されてしまったりという場合もありうるわけですわ。

要するに、
There cannot be one true meaning of a word like ‘need’” (Dean, 2010: 4).
「ニーズ」のような言葉を一つの定義では説明できない、というわけです。


さてさて、教科書的なつまらない情報はこの辺にして。少し自分の生活で考えてみると面白いですよ。お金があって衣食住は整っている。自分のことは自分で考えてやっていける。じゃあ、一人でお金さえあれば生きていけますか?
ぼくは、何度かビッグイシューを売っているホームレスの人に「ビッグイシューの収入はそんなに多くないのにどうして続けているんですか」と聞いたことがあります。総じて、「販売を通して人と会って話すのが楽しいから」というような答えが返ってきます。
ぼくは、これしっくりきます。人間関係は、お金や健康とならんで生きていく上で大事なものだと思っています。でも、これって政策やサービスにできるのだろうか。。。

このへんの、人と人のかかわり合いについては、次回ニーズとウェルビーングの話で掘り下げていきたいと思います。よし、今日はがんばったのでもうおしまい!


【参考文献】
Bradshaw, J. (1972). The Concept of Social Need.
Dean, H. (2010). Understanding Human Need. Bristol: The Policy Press.
Doyal, L. and Gough, I. (1991). A Theory of Human Need. Basingstoke: Macmillan


とっても申し訳ないのですが、当ブログに書いてある内容によって生じた問題などについて、書いている人は何一つ責任を果たせません。
寛大な御心とご自身の判断力をもってお読みいただければ幸いです。